阿波の参拝神社へのリンク
・大劔神社(三好市)
・剣山本宮宝蔵石神社(三好市)
・八倉比賣神社(徳島市)
・大御和神社(徳島市)
・上一宮大粟神社(名西郡神山町)
・白人神社・磐境神明神社(美馬市)
・大麻比古神社(鳴門市)
・阿波神社(鳴門市)
・宇志比古神社(鳴門市)
・忌部神社(徳島市)
・一宮神社(徳島市)
・大劔神社
・旧社格:
・住所:徳島県三好市東祖谷菅生
・TEL:
・参拝日:2023年5月2日
剣山の中腹、標高1820mに鎮座する大劔神社です。剣山登山の様子はこちら【剣山】をクリックしてご覧ください。
ロープウエイの西島駅の奥から大剣登山道が続きます。左は登山道入り口、右は登山道途中の鳥居です。
大劔神社です。社殿後方がご神体の御塔石です。
御塔石に不思議な光が入りました。御塔石は二つの大きな岩が重なっていました。
左は社殿に据えられた社紋です。右は手水舎ですが水が凍っていました。
御朱印はありませんでした。
・剣山本宮宝蔵石神社
・旧社格:
・住所:徳島県美馬市木屋平字川上
・TEL:
・参拝日:2023年5月2日
剣山山頂直下に鎮座しています。。安徳帝の御剣を天に奉じて武運長久を御祈願されたことから、剣山と呼ばれるようになり、そこに神社を建立したことに始まるとされています。神社背後には安徳天皇の剣を納めたといわれる宝蔵石があります。
頂上付近の両部鳥居です。鳥居を潜れば剣山山頂はもうすぐです。
剣山本宮宝蔵石神社社殿です。神社の後方には剣を納めたと伝えられる宝蔵石があります。
宝蔵石です。岩に割れ目が多く剣を納められそうです。
4月29日が山開きだったそうで、その御朱印も頂きました。
・八倉比賣神社
・旧社格:県社・式内大社の論社
・住所:徳島県徳島市国府町矢野531
・卑弥呼の墓?
・TEL:
・参拝日:2023年4月29日
八倉比賣神社の御由緒書です。クリックして拡大してください。
御祭神は大日霊命(おおひるめのみこと)で天照大神の別命といわれています。
八倉比賣神社の御神体は鎮座している杉尾山であるとされており、石段の参道が続きます。右は石段を登りきった境内です。
拝殿です。
御本殿です。木が茂っています。
左は拝殿の屋根です。神紋の「抱き柏」が据えられています。右は境内にあるお稲荷さんのようです。
お稲荷さんの狛犬です。左の狛犬は招き猫のようなポーズをして玉を乗せています。珍しい形と思います。
本殿の右手より奥の院(卑弥呼の墓)に続く参道があります。
参道の途中にも石組みの上の祠がありました。丘の頂上に大きな石組みが現れます。
卑弥呼の墓と伝わる不思議な五角形の石組みです。祭壇のようです。
祠の後方です。五角形の頂点なっています。
石組みの上面です。大きな青石が敷き詰められています。祠の中には字の刻まれた石が納められているようです。
不思議な雰囲気の神社でした。
・大御和神社
・旧社格:県社・式内社
・住所:徳島県徳島市国府町府中644
・通称:「府中の宮」(こうのみや)
・TEL:088-642-2251
・参拝日:2023年4月29日
大御和神社の御由緒書です。クリックして拡大してください。
鳥居と境内の様子です。鳥居の内側が駐車場になっていました。
拝殿です。
御本殿です。
拝殿の向背です。彫刻が立派です。神紋の「鍵の立合」が据えられています。当社が印鑰大明神と称されており(印鑰とは、国のハンコと国庫の鍵を意味する言葉)、これに由来するそうです。
境内にある江ノ島神社です。綺麗なアジサイが飾られていました。
境内には多くの白ウサギが飾られていました。
綺麗な御朱印です。
・上一宮大粟神社
・旧社格:郷社・式内社
・住所:徳島県名西郡神山町神領字西上角330
・通称:大阿波さん
・TEL:088-676-0482
・参拝日:2023年4月29日
上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)の御祭神は、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)で、別命は天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)です。社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたと伝えられています。式内大社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つです。大粟山では、神宮寺と隣り合わせに鎮座しており、神仏混合の名残が色濃く残っています。
左は大鳥居です。内側が駐車場になっています。右は神門です。神門から参道が続いています。神門横の車道で、境内に向かいました。
境内の様子です。赤色(朱ではなさそう)の御本殿が目立ちます。ここまで車で来られます。
拝殿正面です。
御本殿です。立派な御本殿ですが、元々赤色だったのでしょうか。
左は拝殿の彫刻です。屋根に神紋の「丸に抱き粟」が見えます。右は拝殿天井の絵です。立派な作りです。
境内にある、結びの大御神社(おおみやしろ)です。銀色の亀が据えられていました。
左は瑜伽大権現です。右は神社の梵鐘です。自由に突けるようで、良い音を響かせてきました。
境内から見た参道です。参道の先に神門が見えます。これを登ってくるのは大変です。御朱印はありませんでした。
・白人神社・磐境神明神社
・旧社格:
・住所:徳島県美馬市穴吹町口山宮内2
・磐境神明神社は「日猶同祖論」の根拠
・TEL:
・参拝日:2023年4月29日
白人(しらひと)神社の創建は、第24代仁賢天皇の時代にまで遡るとされ、この地に白髪の翁が天降って「この谷は聖地なり。神々を祀り鎮め、宮内と改めるべし」と告げたことから始まるとされています。その後、慶長年間の初め、稲田修理亮によって再興されたといわれ、阿波藩の家老であり脇城主であった稲田家の信奉が厚かった神社です。奥宮の神明神社は、古代ユダヤの祭祀場と同じであるとして、しばしば“日猶同祖論”の根拠として取り上げられています。
白人神社の鳥居です。社殿正面と奥社側の二カ所にあります。
拝殿前の狛犬です。玉を咥えています。
拝殿正面です。ちょっと見にくいですが、拝殿の屋根の下、梁を支える部分に「波うさぎ」の彫り物があります。
御本殿と拝殿に揚げられている扁額です。
境内社の八幡神社と神馬です。
白人神社の向かって左側、100m程のところに磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)の参道があります。小高い丘を登るようです。
神明神社の狛犬も玉を咥えていました。
鳥居を潜り、急な階段を上ります。
神明神社の案内板です。
不思議な石組みの祠です。三つの入り口があります。
奥には五つの祠があります。
真ん中の入り口から望む、真ん中の祠です。他よりも少し大きいです。
単純に石を積み上げただけではなく、場所により複雑な積み方をしています。
石組みの上にも木が育っており、森と一体化しています。
神明神社の参道から白人神社側を望みます。深い山間です。
御朱印はありませんでした。
神明神社を離れると、胸のあたりが重かったのがフッと軽くなった気がしました。
・大麻比古神社
旧社格:国幣中社・名神大社
阿波一宮
四国八十八箇所の第一番札所・霊山寺から少し北に入ったところに、大麻比古神社の朱の大鳥居があります。石灯籠の参道の先に、駐車場と境内が見えてきます。
境内の階段を上がると、御神木の大楠が迎えます。樹高は22mで樹齢は約千年だそうです。凄い生命力を感じます。
腰つきがユニークな狛犬です。
鳥居越しに拝殿を望みます。
拝殿正面です。
本殿です。
本殿右側奥の豊受社のあたりの神苑です。参拝当日は梅雨の晴間でもの凄く蒸し暑い日でしたが、このあたりは清々しい空気に包まれていました。不思議な感覚でした。
本殿裏にあるめがね橋とドイツ橋です。第一次世界大戦時のドイツ軍捕虜が、地元への感謝から建設したそうです。
奥宮遙拝所です。奥宮は大麻山山頂にあります。
丸山稲荷社と丸山社への参道です。
・阿波神社
旧社格:県社
土御門天皇をお祀りする阿波神社の社号標と鳥居です。昭和18年に丸山神社を廃し、阿波神社と改称したそうです。
参道を緩やかに曲がりながら登ると、赤銅色の神門が見えてきます。左右に安定感のある立派な神門です。
拝殿です。森に囲まれた美しい拝殿です。
本殿です。
・宇志比古神社
旧社格:郷社・式内社
宇志比古神社は阿波神社のすぐ東に鎮座しています。歴史を感じる神門です。
神門を潜った石段の上に拝殿があります。
拝殿内部の様子です。
本殿です。後の一宮神社で知ったのですが、桃山時代建築の国指定の重要文化財だそうです。
神社は無人でしたが、書き置きの御朱印がありました。
・忌部神社
旧社格:国弊中社・名神大
徳島市の市街地から直ぐの小山に忌部神社が鎮座しています。市街地から、急な石階段が続きます。夏の参拝はきついです。
石階段を登り切ると視界が開け、境内と社殿が見えてきます。
白を基調とした拝殿です。
本殿です。
なかなかの達筆と思います。参道、境内でたくさんの蚊に刺されました。携帯蚊取りは必携です。
・一宮神社
旧社格:県社・名神大
・阿波一宮
一宮神社の隣には四国霊場十三番札所である大日寺があります。大日寺側から望む境内です。「阿波國一宮」と書かれています。
太鼓橋と鳥居です。太鼓橋は苔むしています。
拝殿正面です。
本殿です。三間社流造で国指定の重要文化財です。
本殿に可愛い顔をした狛犬が据えられていました。